HOME | コンセプト

Concept

基本理念

辰砂(しんしゃ)の赤に
魅了された私がここにいる

東峰村は、2005年に旧小石原村と旧宝珠山村が合併し出来た新しい村である。二村合併以降、高齢化率の問題や人口流出、経済停滞、出生率の低下など様々な課題を抱え、さらには2017年に発生した九州北部豪雨災害の甚大な影響が深刻な様相を呈している。鉄道復旧の問題とて暗礁に乗り上げ、先人の流した涙、苦労はやがて人々の脳裏から消えゆこうとしている。  
この村の再生にあたっては、実行可能なプロジェクトをまず起点となる大行司地区から始め、双方に翼の様に広がる両地域(小石原・宝珠山)を横断的につなぐ戦略を立てたいと考えた。まず何から手をつけようと考えた末に、私の辿りついた答えは、土をこねること、陶芸を志すことだった。ずぶの素人であり、人々は笑うであろう。上手さを競う気はない。私のこの地域への願いを込めることが出来たら幸甚である。              
                         令和2年6月6日
                         東峰村地域おこし協力隊 浦 義勝
 
辰砂(しんしゃ)の赤:
 赤い色は神聖な色として、縄文時代や弥生時代、土器や木製品、さらには古墳の石室などにも多く使用されてきました。辰砂は硫化水銀からなる鉱物で別名、賢者の石とも呼ばれています。

Desire

私の願い

地域を一つにまとめる

東峰村(旧宝珠山)は 北に小石原焼・髙取焼を、南に日田の小鹿田焼をかかえる一大窯元地帯。かつては人口が6,000名を超え、筑豊の炭鉱王”伊藤伝右衛門”が宝珠山炭鉱を経営した。この小さな山村に鉄道の駅が3つも存在し、美しい景観資源であるメガネ橋が4つも存在する事は驚嘆に値する。ここで採掘された良質の石炭は、全国に運ばれ日本の経済を牽引した。時代は下り、炭鉱閉山をむかえる昭和30年代後半、この村の衰退を憂う若者が集まり鉄分の炭鉱残土で新しい文化を創造しようとした。それが宝珠焼(ほうしゅやき)である。私はこれから見よう見まねで一から陶芸を始めてみたいと思っている。食うためにではない。この地域を一つにまとめる為にである。

 

人と人との絆を回復したい

この地域には、様々な立場の方が暮らしていて、私は陶芸を通じて多くの人の声に耳を傾けたいと思っている。派閥の闘争が目立ち、教育行政や村の将来にかかわる重要な決定などが後回しにされてはいないか。子ども達の未来がかかっている。人口が2,000名を切ろうとするこの村は、あの甚大な被害をもたらした九州北部豪雨災害から立ち直り、災害列島とも言われる昨今の状況を鑑み、いち早く他地域に模範とされる様な先進地域を目指さねばならない。筑後川と遠賀川の両方の水系にはさまれ、空気と水のきれいな上流域に住む者の責任として、自然と共生する山の暮らしをより魅力的なものとして、全世界に発信し、人口流失に歯止めをかけ、これからは都会の人々に夢と希望を提供していく。東峰村はそれが出来る魅力的な村である。一歩、もう一歩政治を前進させる為には何が必要なのだろうか。人と人の絆を取り戻し、信頼し合い助け合うことで自らの住む地域に誇りと自信を取り戻そうではないか。